てまえみそのうた」をご存知ですか? 2011年に発表され、その後グッドデザイン賞を受賞した歌です。その独特の脱力感と軽快さは、一度聞くとやみつきになります。作ったのは、現在、発酵デザイナーとしてお仕事をされている小倉ヒラクさん。

「発酵デザイナー」? デザイナーならまだしも、一体なにをどうデザインするお仕事なのでしょう。「手前みそのうた」をはじめとするヒラクさんのお仕事の真髄を伺いました。

見えないものをデザインで見える化する仕事

── 最初に「発酵デザイナー」としての、お仕事の内容について教えてください。

大まかに言うと、「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする仕事」です。具体的には、アニメや絵本をつくったり、お味噌屋さんや日本酒の蔵元さんと一緒に商品開発をしたり。場合によっては、地域の物産展を企画したり、自治体の食育のプログラムを一緒に考えたりと、今ソーシャルデザインと呼ばれているような領域で仕事をすることもあります。

── どういった経緯で「発酵デザイナー」というお仕事にたどり着いたのでしょうか。

もともと絵を描くのが好きで、アートをずっとやりたいと思っていたんですが、大学のカフェで個展を開いたとき、作品がユーゴスラビア人の画家の目に止まって、パリに行くことになりました。1年大学を休学してパリで生活したあとに、帰国してからは100万円借金をつくってゲストハウスを開いたんです。むちゃくちゃでしょ。笑

小倉ヒラク

バックパッカーだったから、いろいろな国を回ってゲストハウスを泊り歩いていたんだけど、あの雰囲気がすごく好きで日本でもそういう環境をつくりたいと思ったんです。実際にはじめてみたら、予想外に評判が良くてお客さんがたくさん来るようになりました。そのうち盛り上がりすぎて警察が来るようになって。このまま続けていいたら自分の人生が飛んでいってしまうっていう危機感を感じたんだよね。そこから「あきゅらいず美養品」というスキンケア商品を扱っている会社に入って、デザイナーとしての仕事を始めました。

仕事のかたわら菌や微生物について興味を持ち始めて、「発酵醸造学」を勉強し始めたのもこの頃から。今でこそ「発酵デザイナー」って名乗っているけど、サラリーマン時代はそれが直接仕事につながるなんて思っていなかったんだよね。

あきゅらいず美養品」は3年勤めたあと独立しました。ロクに経験もないくせに生意気だったから、広告代理店とは仕事をしない、経営者としか仕事をしない、社会に役に立つことだけするっていう3つのルールを決めていました。そのおかげか最初は仕事がぜんぜん来なかった。でもあるとき「わたしの知り合いの農家が困ってるから話聞いてやってくれないか」ってオファーが来て、東京ではなくて地方の商店や農家さんから仕事が来るようになりました。

仕事してみてわかったのは、既存のビジネスモデルでは回らなくなってきた地場産業にこそデザインが必要だということ。つくったものを、どうやって人に伝えるかが重要だからね。その頃は、現地に入っておじちゃんやおばちゃんとお喋りして、どんなものが求められているのかをその場で考えてデザインして、入稿してさあ次の場所へ、っていう感じで、今でいうノマドワークのような仕事をしていました。

そのうち、デザインで社会との関わりをつくりたいなあって思い始めて。地場産業や地域の生態系の根幹にある問題解決に注力するために、独立してから2年後に合同会社++という会社を立ちあげました。ここまでが、「発酵デザイナー」になる前までの経緯です。

微生物たちが呼んでいる

── 発酵デザイナーという仕事をする中での極意はありますか?

小さなところから世界を見る視点を鍛えることです。とても鍛えられました。一般的には、経済や産業など、大きな流れから社会を捉えることが多いんだけど、ぼくはその逆で、小さなところから逆算していくことで世の中の仕組みをよく見えるようにしていく。人間が中心にある生態系ではなく、目に見えない様々なものから成り立つ生態系の科学的ルールから発想する視点は、発酵デザイナーの仕事をする上でとても大事です。

小倉ヒラク

ちょっと話を戻します。デザイナーとして地場産業や生態系に関わってからの5年間で、ぼくの仕事はまったく特別なものじゃなくなりました。「ソーシャルデザイン」という言葉が一般化して、企業や自治体も事業を通して「社会の問題解決をする」という考えが当たり前になっていったんですね。同時に、それまでの自分のミッションは既に終わっているなとも思ったんです。

ぼく、キャリアが成熟していくことって、だんだん仕事が自分らしくなっていくことだと思うんです。

その時に、「自分らしい仕事ってなんだろう?」と思った時に真っ先に出てきたのが「菌」でした。ただ好きだというだけで研究し続けていた微生物の世界が、実は社会を変える大きな可能性を持っているということに気づいたんですね。それから色々悩んだ末に、立ちあげた会社を退任し、次なるミッションとして発酵の世界へ進んでいこうと決めました。「微生物たちがぼくを呼んでいるぞ」と。

この世界は本当に奥が深くて、少なくともあと10年ぐらいかけてようやく入り口に立てるかな、と覚悟を決めています。

日の目を見なかった仕事が、3.11以降人々の心を打つようになった理由

── 微生物や地場産業に関わるデザインについて、周りからはどのように見られていましたか。

始めた当初は本当に理解してもらえませんでした。「何でもっとクリエイティブな仕事をしないのか」「東京で仕事をしないのか」と。ところが2011年の3月に起きた震災を転機に、少しづつぼくの仕事に対して興味を持ってもらえるようになったんですね。

── なぜヒラクさんの仕事に対して、周りのひとたちの理解が変わったのでしょうか。

それは、「生きる」ということの根源的な意味を考えなおす時代が来たからだと思います。戦後からつい最近まで、能動的に「生きる」ということを考えなくても幸せに生きていける時代が続いてきました。けれでも、震災を機に人生の主要な目的を問いなおす人が増えたのではないでしょうか。

── ヒラクさんの考える人生の主要な目的って何ですか?

「生き延びて子孫を残すこと」。震災のときに、若い女の人は特に、自分と自分の子供の生存が脅かされているという直感を覚えたと思う。そのときに人生の目的は生き延びて子孫を残すことだと気づく人がたくさんいたんでしょうね。

じゃあ生存を保障するものは何かって考えたときに、たまたまぼくの関わる仕事の領域に大事なものがたくさんあった。食や、エネルギーや、微生物のような。そこからぼくの仕事に対する周りの評価が変わったのでしょう。

菌が教えてくれる社会のかたち

人間の本質的な快楽は、つくって育てることだと思うんです。だからぼくが開催するワークショップやイベントで必ずセットにしているのは「楽しんだあとにつくる」という流れ。実は出産期にある女性でなくても、老若男女誰でも生き物を育てることができるんです。その良い例が「発酵」。お味噌や糠床を手づくりするということは、自分の手で微生物たちを育て、家族を養う食べ物をつくるということです。これは人間の本質的な快楽です。

育てる喜びや、育つ喜びを共有すると人の人生観が変わります。ぼくは発酵デザイナーとして、その方法やきっかけを提供できるようになりたいなと思っているんです。

小倉ヒラク

── これからチャレンジしたいことってありますか。

「発酵文化人類学」という新しい研究に挑戦してみたいと思っています。もともと、ぼくは大学で文化人類学を勉強していました。その方法論で、「微生物から見た社会のカタチ」を確立してみたいなと思っているんです。発酵醸造は「工学と社会学」の交差点。バイオサイエンスと、人間の文化の歴史の両方から社会を読み解いていきます。例えば糀のことを調べていると日本人は昔、糀をめぐって内戦を起こしたことがあると分かったり、社会の読み解き方のレベルが変わってくるんです。

調べてみたら「発酵文化人類学」ってまだ誰も開拓していないので、まずぼくがやってみようと思って。「発酵」という視点から日本の社会のかたちを再構成したいんです。

そういうリサーチもふくめて、「発酵デザイナー」としてやれることはまだまだあると思います。

てまえみそのうた

お話を伺った人

小倉 ヒラク(おぐら ひらく)
発酵デザイナー、アートディレクター。1983年東京生まれ。生態系や地域産業、教育などの分野のデザインに関わるうちに、発酵醸造学に激しく傾倒し、アニメ&絵本「てまえみそのうた」の出版。それが縁で日本各地の醸造メーカーと知り合い、味噌や醤油、ビールなど発酵食品のアートディレクションを多く手がけるようになる。自由大学をはじめ、日本全国で発酵醸造の講師も務める。グッドデザイン賞2014を受賞、最新作にアニメ「こうじのうた」。